札幌にあるスープカレーのお店 元祖!薬膳カリィ本舗アジャンタ総本家
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スープカレーの元祖おおいに語る
最初はお客ではなく患者だった
玉木 |
本日は座談会にご出席いただいてどうもありがとうございます。 今、札幌ではスープカレーがブームですが、若い人がそれを支えています。 だから、スープカレーの元祖というか、オリジナルを知っている人は、ほとんどいないのではないかと思います。 まずは辰尻さんがスープカレーを作ったきっかけから教えてください。 |
辰尻 |
当時やっていた喫茶店で、最初に薬膳カリィを出したのは、1971年でしたね。 薬膳カリィを作るきっかけになったのは、自分と父親の健康だったんです。 だから、最初はお客さんに出すつもりはなかったんですよ。 あくまでも、自分のための食べ物でした。 |
玉木 |
それがなぜ、メニューに? |
辰尻 |
ある日、私が食べているときに、常連客の一人が匂いにつられて、「何を食べているの?」と聞かれて、食べさせたのが始まりでした。 私が商品化したというよりも、お客が商品化したようなものですな。 |
金子 |
でも、すぐにメニューにしたわけではないんです。 |
辰尻 |
そうです。 そのころは、限られた常連さんだけに、しかもその人たちの体調を考えて漢方を調合して出していました。 しかも当時は、具は何も入っていない、純粋にスープだけでした。 |
玉木 |
ビジネスとは考えなかったのですか。 |
辰尻 |
はい。 薬膳と名づけたとおり、「体質改善になる」「健康になる」「二日酔いに効く」などが私の目標でしたから。 たとえば「疲れている人」にはスパイスや漢方薬をどのように組み合わせれば、その人にあった薬膳になるのか、私なりの研究だったんです。 だから、当時はお客ではなく、クランケ(患者)と呼んでいたくらいです。 |
金子 |
あまり食べないように注意していたとか。 |
辰尻 |
そうですね。 薬膳効果からすると、1週間に1度くらいがちょうどいい。 商売だとは思っていなかったので、利益も度外視していました。 |
自ら実験台として薬草を試したことも
金子 |
食材を求めて世界を旅していますよね。 |
辰尻 |
インド、中国、東南アジアを何度も回りましたね。 中国の露店で買った薬草を食べたら下痢をしたり、サルの頭蓋骨を食べたり、まぁ自分の体を実験台にして、ずいぶん痛めつけましたね(笑)。 でも、おかげで漢方の薬効にはずいぶん詳しくなりました。 そして、「これなら」と思うものが出来たので世に出したのです。 病院からも効果を期待してくる人たちがいましたね。 |
玉木 |
具が入るようになったのもその頃ですか。 |
辰尻 |
そうですね。 チキンレッグを丸ごと入れたのも、うちが最初です。 最初、これはダシをとるためのもので、捨てていたんですが、お客が「捨てるくらいなら、食べさせてくれ」というので、具になりました(笑)。 |
玉木 |
今の札幌のスープカレーブームをどうごらんになりますか。 |
辰尻 |
うちの店に来ていた若い人たちが始めた店が結構あります。 その人たちはお店を開くときにあいさつに来てくれたものです。 彼らはチャレンジャーだと思います。 彼らの功績は、スープカレーをファッション化したことでしょうね。 店のつくりなども雰囲気が良い。 私にはそんな可能性は考えられなかった。 しかし、「体にいいものからファッションへ」移行したとなると、私の思いとは別のものという気がします。 私の基本理念は「薬効のあるものを食べて自然治癒力が高まること。食べた人が健康になり、親子三代ハッピーライフを送れること」なんです。 思い入れ99%、商売1%なんですよ。 |
金子 |
私はアジャンタで薬膳カリィを食べて、ショックを受け、弟子入りしたんですが、その師匠の思いを大切にしていきたいですね。 |
玉木 |
今は一線を引退されましたが、今後スープカレーに対して、どのような期待を感じていますか。 |
辰尻 |
一つはスパイスの薬効が、今後も新たに発見されるのではないかと。 たとえば認知症などに効果がありそうな気がします。 飲食関係はどうしても「今がよければいい」となりがちですが、やはり百年先まで考えた、健康的なものになっていくのが望ましいと思います。 それがアジャンタの原点でしたから。 |
金子 |
今後もその原点を守り、受け継いでいきます。 |
玉木 |
本日はどうもありがとうございました。 |