札幌にあるスープカレーのお店 元祖!薬膳カリィ本舗アジャンタ総本家

40年余継承を引き継ぐ当時物のスープカレー!
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スープカレーの元祖おおいに語る

最初はお客ではなく患者だった

玉木
本日は座談会にご出席いただいてどうもありがとうございます。
今、札幌ではスープカレーがブームですが、若い人がそれを支えています。
だから、スープカレーの元祖というか、オリジナルを知っている人は、ほとんどいないのではないかと思います。
まずは辰尻さんがスープカレーを作ったきっかけから教えてください。
辰尻
当時やっていた喫茶店で、最初に薬膳カリィを出したのは、1971年でしたね。
薬膳カリィを作るきっかけになったのは、自分と父親の健康だったんです。
だから、最初はお客さんに出すつもりはなかったんですよ。
あくまでも、自分のための食べ物でした。
玉木
それがなぜ、メニューに?
辰尻
ある日、私が食べているときに、常連客の一人が匂いにつられて、「何を食べているの?」と聞かれて、食べさせたのが始まりでした。
私が商品化したというよりも、お客が商品化したようなものですな。
金子
でも、すぐにメニューにしたわけではないんです。
辰尻
そうです。
そのころは、限られた常連さんだけに、しかもその人たちの体調を考えて漢方を調合して出していました。
しかも当時は、具は何も入っていない、純粋にスープだけでした。
玉木
ビジネスとは考えなかったのですか。
辰尻
はい。
薬膳と名づけたとおり、「体質改善になる」「健康になる」「二日酔いに効く」などが私の目標でしたから。
たとえば「疲れている人」にはスパイスや漢方薬をどのように組み合わせれば、その人にあった薬膳になるのか、私なりの研究だったんです。
だから、当時はお客ではなく、クランケ(患者)と呼んでいたくらいです。
金子
あまり食べないように注意していたとか。
辰尻
そうですね。
薬膳効果からすると、1週間に1度くらいがちょうどいい。
商売だとは思っていなかったので、利益も度外視していました。

自ら実験台として薬草を試したことも

金子
食材を求めて世界を旅していますよね。
辰尻
インド、中国、東南アジアを何度も回りましたね。
中国の露店で買った薬草を食べたら下痢をしたり、サルの頭蓋骨を食べたり、まぁ自分の体を実験台にして、ずいぶん痛めつけましたね(笑)。
でも、おかげで漢方の薬効にはずいぶん詳しくなりました。
そして、「これなら」と思うものが出来たので世に出したのです。
病院からも効果を期待してくる人たちがいましたね。
玉木
具が入るようになったのもその頃ですか。
辰尻
そうですね。
チキンレッグを丸ごと入れたのも、うちが最初です。
最初、これはダシをとるためのもので、捨てていたんですが、お客が「捨てるくらいなら、食べさせてくれ」というので、具になりました(笑)。
玉木
今の札幌のスープカレーブームをどうごらんになりますか。
辰尻
うちの店に来ていた若い人たちが始めた店が結構あります。
その人たちはお店を開くときにあいさつに来てくれたものです。
彼らはチャレンジャーだと思います。
彼らの功績は、スープカレーをファッション化したことでしょうね。
店のつくりなども雰囲気が良い。
私にはそんな可能性は考えられなかった。
しかし、「体にいいものからファッションへ」移行したとなると、私の思いとは別のものという気がします。
私の基本理念は「薬効のあるものを食べて自然治癒力が高まること。食べた人が健康になり、親子三代ハッピーライフを送れること」なんです。
思い入れ99%、商売1%なんですよ。
金子
私はアジャンタで薬膳カリィを食べて、ショックを受け、弟子入りしたんですが、その師匠の思いを大切にしていきたいですね。
玉木
今は一線を引退されましたが、今後スープカレーに対して、どのような期待を感じていますか。
辰尻
一つはスパイスの薬効が、今後も新たに発見されるのではないかと。
たとえば認知症などに効果がありそうな気がします。
飲食関係はどうしても「今がよければいい」となりがちですが、やはり百年先まで考えた、健康的なものになっていくのが望ましいと思います。
それがアジャンタの原点でしたから。
金子
今後もその原点を守り、受け継いでいきます。
玉木
本日はどうもありがとうございました。